太平洋戦時下の下鳥羽の記憶

はじめに

 ここに記載されたご芳名一覧は、先の太平洋戦争で戦没された下鳥羽に関係する皆さまです。戦後70数年が過ぎ、戦時下を生きた皆さんが高齢となってきたため、戦後生まれの我々として何かを残し後世に伝えることができないか、との思いで「下鳥羽の 古文書を読む会」として記録に残すことを考えました。古文書を読む会の会員も高齢の方が増えてきました。昨年末に「下鳥羽の 古文書を読む」と題した本を刊行し、生涯学習の一環として勉強会を進める傍ら、太平洋戦時下の体験を残さなければとの思いにかられました。そこで、会員のみなさまの賛同により本にまとめることを始めました。
 先ず、戦没者は誰かを知るため、市役所の高齢福祉課に伺い、地区内の戦没者一覧を確認したいとお願いしましたが、市としては、把握していないことが分かりました。また、昨年10月に区長として平和式典の戦没者慰霊祭に参加しましたが、戦没者名はなく、いささかの疑問を持ちました。結局、既にない遺族会の関係者の電話番号を聞き得たのが幸運と思えました。
 早速、電話番号をたよりに連絡したところ、戦没者、戦没地、戦没年月日と遺族名の一覧を入手でき、これで記録を残せると安堵した事を覚えています。そして、古文書を読む会のみなさまには、戦時下の体験談の寄稿をお願いしました。
 それと同時に、区民のみなさまには、戦時下の資料、体験されたこと、外地で苦労された体験など寄稿していただきたい旨を、回覧させていただきました。戦時下の資料を集めるに当たり、最も驚いたことは、父親から聞いていた戦没者「西沢武雄」さんのことでした。それは、『武雄さは浅間丸の船長でな....』の記憶からでした。記憶が事実かとの思いから、浅間丸について調べました。船主が日本郵船とわかり、調査依頼をしましたが、船長履歴にありませんとの回答でした。船名の違いを指摘され、また、下鳥羽の船長の実家に確認しましたが良く分からず、写真もないとのことでした。神戸在住の親族の住所と電話番号を教えて貰い、問い合わせたところ、浅間丸ではなく、対馬丸ということが分かりました。
 その後、沖縄那覇にある対馬丸記念館に船長の写真の有無を確認したところ、写真の存在がわかり、未だ多くの疎開児童らと対馬丸とともに海底にあることも分かりました。そして、学芸員の慶田盛様から関係資料を送っていただきました。また、対馬丸遭難の事と船長のことも多くの方に知ってもらいたい旨の要望もいただきました。改めて遠い存在だった太平洋戦争―沖縄―対馬丸同郷の西沢船長がつながった瞬間でした。
 ここに、日本郵船歴史博物館と対馬丸記念館及び西沢武雄船長の孫にあたる神戸在住の西沢亮様から送っていただいた資料も加え、「太平洋戦時下の下鳥羽の記憶」として一冊の記憶本の刊行にいたりました。
 対馬丸遭難事件について私なりに調べてみますと、新しい事実が分ってきました。それは、軍の正式記録と護衛艦宇治の乗組員の手記とが異なっていることでした。海上護衛隊の公式記録には、『8月22日2215(中略)ナモ103船団中対馬丸敵潜ノ雷撃ヲ受ケ沈没護衛艦「蓮」直チニ爆雷攻撃ヲ加エタルモ効果不明第一拓南丸及飛行機ヲ派遣掃セルモ敵状ヲ得ズ』との記録がされています。しかし、護衛艦 「宇治」の乗船員であった前田紀太郎氏(主計長)の「遭難対馬丸」なる手記には、『護衛艦宇治には潜水艦探査装置は装備されていなく、同じく護衛艦蓮のみに潜水艦探査装置があったが、対馬丸の爆雷沈没により夜中に生き延びた対馬丸の疎開児童や乗組員が海中に救助を求め、断末魔の状態にあったなか、対潜水艦攻撃の爆雷投下は、両刃の危険性のため実行できなかった』と記載されていました。
 このことは、海上護衛隊であった護衛艦「蓮」が敵潜水艦対抗措置をとらなかったことを言っていると思えるのです。戦時下の情報統制下では、容易に情報操作を行い得たことを考えると、海上護衛隊の記録には事実をねつ造したかった意図が浮かび上がって見えました。
 想像を絶する体験をしながら生き延びた学童たちにも、箝口令を強要し、その狭間で二重・三重もの苦しみを強いたことを考えたとき、戦争の悲劇は二度とあってはいけないと思うのです。
 本冊子は、戦争を体験したみなさまからお聞きしたこと、親から聞いたことや残されていた資料をまとめたものです。なにより、多くのみなさまに事実を知っていただくためにまとめた資料であり、改めて太平洋戦争について考えていただきたくために刊行したものです。
 最後に発刊にあたって、寄稿いただいた豊科公民館長の鈴木桂子様及び下鳥羽区の細田区長はじめ、富岡公民館長と下鳥羽の古文書を読むの会のみなさま、そして、寄稿や資料をご提供いただいた区民のみなさまに感謝申しあげます。 また、貴重な資 料をご提供いただいた神戸の西沢亮様、そして、日本郵船歴史博物館、戦没した船と海員の資料館、那覇の対馬丸記念館、蟻ケ崎高校同窓会などからも多くの情報提供いただきましたことに改めて感謝申しあげます。
 そして冊子発刊の起点でありました、下鳥羽の戦没者名に関する情報をご提供いただきました今はなき遺族会の、上鳥羽区の清水充様には改めて感謝申しあげます。有り難うございました。(下鳥羽の古文書を読む会代表 西沢洋明)


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