下鳥羽大同神社
大同神社(当時の神社名ではない)は豊科下鳥羽地区の産土神で、土地の守り神として現在に至っていますが、古い鳥羽村の記録は、文明10年(1478)の穂高神社の御遷宮時には戸間村として表されています。いつから鳥羽と言われるようになったかは定かではありませんが、その鳥羽村が寛文6年(1666)に上下鳥羽村に分村しています。この時から下鳥羽村の氏神様として熊野三社権現を主祭神として鎮守されてきました。さらに享保19年には藩の方針により、成相組と長尾組の組境に移され現在の位置になっています。また、明治39年には官林7反が払い下げられていますことから、松本藩時代には、藩有林だったと思われます。このことから村社にも拘わらず、松本藩主からの思し召しがあり、近くには、昭和9年6月に子爵戸田康保公が参拝に来られています。
なお、大同神社名は、区内にある日光寺の開基が大同年間と云われていることより、大正6年5月5日に社名改称願いが出され、長野県知事赤星典太から正式承認されています。きしくも狛犬が建立された大正5年5月5日からおよそ1年後にあたります。また、この狛犬は、東京墨田区の大鳥神社の狛犬と製作者が同じだと言われており、川崎の石工内藤慶雲作の大変立派な狛犬です。
御 祭 神
(お宮あれこれ第三報)神 事
5月14日 御田植祭
6月18日 水無月 大祓い
8月20日 風神祭
9月 9日 例大祭宵祭り
9月10日 例大祭本祭り
11月23日 新嘗祭
12月17日 師走大祓
12月31日 越年祭、二年詣り
1月 1日 初詣、新年祭、交通安全祭
2月18日 祈念祭
お宮あれこれ
第一報 宮地について(2023年4月15日)(部外秘)
第二報 古文書を確認(2023年5月7日) ⇒ 詳細(クリック)
第三報 祭神について(2023年6月18日) ⇒ 詳細(クリック)
第四報 大同神社名はいつから(2023年7月1日) ⇒ 詳細(クリック)
第五報 古い式幟旗(2023年7月1日) ⇒ 詳細(クリック)
第六報 祭り太鼓事件(2023年8月5日) ⇒ 詳細(クリック)
第七報 享保三年藩主奉納夜燈?(2023年8月5日) ⇒ 詳細(クリック)
第八報 これは何ですか?(2023年8月20日) ⇒ 詳細(クリック)
第九報 禁制とは?(2023年8月20日) ⇒ 詳細(クリック)
第十報 ひと口付けとは?(2023年9月20日) ⇒ 詳細(クリック)
第十一報 大同神社の狛犬の作者は?(2023年10月1日) ⇒ 詳細(クリック)
第十二報 どうするタイムカプセル(2023年10月1日) ⇒ 詳細(クリック)
第十三報 大同神社の社紋について(2023年10月1日) ⇒ 詳細(クリック)
第十四報 御祭神揮毫板の奉献(2023年10月1日) ⇒ 詳細(クリック)
第十五報 お宮と学校 ⇒ 詳細(クリック)
第十六報 お船(山車)制作用木材 ⇒ 詳細(クリック)
第十七報 お宮に関わったひとたち ⇒ 詳細(クリック)
第十八報 失われた貴重文書類 ⇒ 詳細(クリック)
第十九報 信濃不二に戸田子爵参拝記録発見 ⇒ 詳細(クリック)
第二十報 戸田子爵参拝植樹木の確認 ⇒ 詳細(クリック)
第二一報 戸田子爵参拝に伴う旭連建立石碑 ⇒ 詳細(クリック)
第二二報 鳥居南の最大石碑に刻まれていることは ⇒ 詳細(クリック)
第二三報 熊野本宮タイムカプセル開けられる(2024年2月17日) ⇒ 詳細(クリック)
第二四報 子爵戸田康保について(2024年2月17日) ⇒ 詳細(クリック)
第二五報 残しておきたいランドマ-ク(2024年3月3日) ⇒ 詳細(クリック)
第二六報 官林払下げによりお宮の拡張(2024年3月3日) ⇒ 詳細(クリック)
第二七報 日露戦争旗艦三笠の絵馬奉納額(2024年3月3日) ⇒ 詳細(クリック)
第二八報 社叢木等について(2024年3月3日) ⇒ 詳細(クリック)
第二九報 松本藩主戸田家からの拝領具足(2024年3月3日) ⇒ 詳細(クリック)
第三十報 戸田子爵参拝記念写真のガラス乾板見つかる(2024年4月28日) ⇒ 詳細(クリック)
第三一報 御賽銭箱へのメッセ-ジ(2024年5月20日) ⇒ 詳細(クリック)
第三二報 市文化財登録の随身半跏像をご存じですか?(2024年5月20日) ⇒ 詳細(クリック)
第三三報 保存写真類が語る事実(2024年5月20日) ⇒ 詳細(クリック)
第三四報 大同神社の古文書類を市文書館への寄託(2024年5月20日) ⇒ 詳細(クリック)
境内施設
員数 2 対
(特記すべき事項を記載すること)
上記を安曇野市有形文化財に指定しました
安曇野市教育委員会
随身とは、社殿や社地などを守る神様で、矢大臣・左大臣とも呼ばれています。その昔、貴人の護衛にあたった近衛府の役人の姿をしており、弓と矢を携え剣を帯びているのが特徴です。矢を持っている像(向かって左)を矢大臣(右大臣)、兵杖を持つ像(向かって右)を左大臣と言います。この随身像は、県内外で社寺・舞台等の装飾彫刻を数多く手がけた初代清水虎吉(好古齊)(1856~1913)が、明治42年(1909)頃に製作したものと言われています。
作者名と寄付をした二名の記載もしっかり読みとれます。
(資料提供鳥羽由治氏)
アクセス
住 所:安曇野市豊科581➠ Map
アクセス:JR大糸線中萱駅から0.5km程で徒歩約6分、長野自動車道安曇野ICより4km程で約10分